もう1年前ですが、父親が亡くなりました
なんとなく自分の中で整理したくなったのて、経緯をいていきます
内容的にタイトルにビックリマークつけるか迷ったけど、やはり付けました、ワハハ
いきなりポックリ逝った
亡くなった時はまあびっくりしましたね
ちょうど明け方から仕事で緊急事態があってバタバタ動いてる時に家族からラインが入ってました
通知の頭書き見た瞬間に、なんとなく内容が予想できる雰囲気というか、、
『あっ、誰かになんかあったな。』と直感がはたらきました
父は前日の晩まで元気でおやすみを言って部屋に入って、朝起きたらトイレの前の廊下で倒れてて、その時点で亡くなってたそうです
正直、父親本人としてはベストな死に方というか、、
ピンピンコロリを体現した最期やったというか、
年齢も80歳越えてたし
結構会っていたから後悔はないが、悲しい
実はこの数年は数ヶ月に一回は娘連れて、実家に帰るようにしてました
なので、
『もっと話しとけばよかった』とか、
『親孝行しとけばよかった』とかいう後悔は幸いにもあまりない
ただ『もっと話したかったな』とか、
『もう少し生きとけよ!』という悲しい気持ちはありますね
あと、時々夢に出てきたりします
夢に父親が出てくると、『あー、夢やな』と分かるんですよね
けどなんかベラベラ喋ってるんで、そのまま目覚めずにしばらく話してます
起きたら、会話の内容は覚えてないっすね
AIで故人を再現する研究とかやってますけど、私と父親の関係であれば夢でも想像でも会話出来るので不要です 笑
受け取ったもの
自分の死生観として、私は川の流れみたいなイメージを持っています
上流のひいひいひい爺さん婆さんから流れてきた川の水を親の世代が受け取って、それが自分の世代に流れてきて、またそれを下の世代に渡していく感覚
具体的に何か家宝とか物とかを受け取ったわけじゃないんだけど、
考え方とか性格とか思い出とか話し方とか少しづつ受け取ってるので、それを下に流さなあかんなぁと思ってます
自分ばっかり受け取って、渡さず滞留するような生き方はイヤですね
まあこの上流、下流は親や子供だけじゃなく他人全般にあてはまる感じ
だから私は『行雲流水』というすごい好きな四字熟語があるんですけど、
見るたびにめちゃくちゃグッと来るんですよねー
会いたい人には、出来る限り会いに行く
さっきも書いたんですけど、
やっぱり今回父親には出来る限り会ってたから、後悔が少なかったのは本当に良かった
特に40歳以降は、結婚式より葬式に出る機会がどんどん増えていきます
死んでからでは話せなくなるので、
親でも親戚でも友達でも先生でも少しでも話をしたい人とは出来る限り早く、多く話す機会を作ることをこれからもやっていきたいっすね
まぁ死んでから夢やAIで話すのも手ですけどね 笑