【43歳頂点論】を読んだ感想

自分も40代に突入して前半戦ですが、Amazonのおすすめに出てきたのでKindleで衝動買いしてしまいました

探検家の角幡唯介の生き方はヤバすぎ

まず著者の角幡さん

探検家を自称して北極をGPS無しに犬ぞりで走り回ってアザラシ撃って食べて100年前のエスキモーと同じ能力身につけてる50歳手前の日本人とかヤバすぎる、マジ半端ねえ

友達の登山家も探検家も同じようなやつばっかでヤバい

20〜30代でそんなヒリヒリした生き方してねえ

この人は『生きてる実感を感じたい!』つって、死ぬ寸前の限界まで極地、僻地で過ごすことを若い頃から続けてるんやけど、マジやり過ぎやろ

せっかく死なずに生還したのに、翌日から死ぬまでの余白がまだ残っていることに悩んで、もっと限界を超えて行けたって後悔してるとか、ストイック過ぎるし、もはや一人チキンレースやん

けど、死にたくはない、生きたい・・

どっちなん?笑

まぁ非日常とか変化を好む気持ちは分かるよ

いつもと違う経験したいとか、無計画で海外旅行行くとかは、自分でもある

が!レベル違い過ぎてひくわ

ある程度レールに敷かれた人生だが、そこまで焦りもねえ

著者は随所に40歳超えると焦りまくると言っていて、植村直己とか有名な登山家、探検家も43歳で死んでるのは焦りが要因の一つと書いてる

俺40歳超えてるけど別に焦ってないわー

それなりに食っていけるし、将来に不安もないし

なんで、そんな焦るかね

自己実現に固執し過ぎじゃね?

そこまで何か成し遂げたいもんかね?

『月と6ペンス』で描かれるゴーギャンの人生

本の中で引用されてるけど、

それまでの投資家かトレーダーかなんかの地位を捨てて家族も捨てて、1人で絵を描き始めたけど売れもせず、不遇のまま死んだゴーギャン

友人に人生を諭された時に、『水の中に入れられたら泳ぐしかないやろ』と返したらしい、そこに意味があろうがなかろうが絵を描くしかないと

それはまあ、ええんちゃう

気づいちゃったんでしょ、自分の生きる場所に

けど焦る必要はないよな

水の中で泳ぎ続ければいいやん、魚だって焦ってないやろ死ぬまで

30代で最高の作品も生み出してねえし、そもそも目的もなく生きてきた

43歳頂点とすると、人生最高の作品は30代で生み出されることになると著者は語る

俺の30代なんか全然人生の最高作品と言えるようなものは生み出してねーな

これと言って目的もなく仕事してるから、それも仕方ない

うーん、人生の中で何かすごいものを生み出してやろう!みたいな熱量が少ないのかな

昔の夢を諦めたって感じもないんやけどな

そもそも強烈な夢とかなかったし

40代前半の今が頂点なのは感覚的に理解できる

一方で『43歳が頂点』というのはすごいしっくりくる

自分の父親が80歳で亡くなってるんで、40歳が人生の折り返し=ピークだなとすごい感じてる

まぁ、だからなんやねんって感じなんですけどね

あんまりデスクワーク中心の仕事だと衰えてる感覚が少ない

マラソンの距離をジョギングみたいに余力ありで走ってきて、『あー折り返し地点に来たな』みたいな感じ

著者みたいに、肉体の限界を目指すことを生業にしてると衰えというものをすごい感じて焦るんだろうね

そういう意味では、本の中で人生を山で例えてたけど、俺の人生は著者より低ーい山で、頂上がメチャクチャ平やから、成長も衰退も感じにくい

著者みたいな生き方だと、たっかい山で頂上がまぁまぁ狭いんだろね

その著者でさえ、頂上がのっぺりしてて本当のてっぺんがどこなのかよく分からんと書いてるけど

俺なんかますます分からんわ、頂上がどこかなんて

死ぬ年から逆算して数字で感じるしか出来ない

普段の生活からは死ぬことも衰えも感じることはほとんどない

かといって今更20歳に戻りたいとは思わない

著者も、『戻りたくない、戻ってあのヒリヒリした生き方はもうしたくない』と書いてました

俺も別に戻りたいとは、思わないね

ただ理由は著者とは違うけど

別にそんなヒリヒリした生活してなかったし、のんびり過ごしてた

また二十の頃に戻ってもう一回やっても、別に苦痛ではない

けど、戻ってもう一回人生やっても、そんな変わらんのよなーきっと

『またこれから40歳まで20年やんの?』てかんじ、めんどくさい

今で満足してる、今が1番楽しいとも言える

逆に、さっさと80歳になって死にたい?のかもしれん

そこまでして長く生きたくないのかもね

とはいえ今は死にたくない

死ぬのはこえー 笑

ちゃんと健康に長生きしたいわ

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